
2005.7.29 No.1700
内容◎
6月定例会、日本共産党市議団が委員会審査で活躍
大脇和代議員/文教委員会・新美化センター特別委員会
井上和郎議員/文教委員会・地域経済再生特別委員会・農業委員会
◎「姫路空襲を語り継ぐ会」にのべ百人参加
市職員の福利厚生は地方公務員法を守れ、学童保育の充実を

大脇和代議員・文教委員会
六月二十一日、文教委員会が開かれました。四郷町にオープンする埋蔵文化財センター条例議案、指定管理者制度導入のため、キャスパ・体育施設・音楽演劇場等の施設改正条例議案、網干小学校をはじめとする小中学校の耐震工事等の契約案件十七件と、少人数教育推進・教育基本法等、三件の請願の審議が行われました。 大脇和代議員は、指定管理者制度が職員のリストラと労働強化推進とならぬよう対象施設の運営状況、変更部分を質問し大きな変化のないことを確認しました。 本会議で質問し、時間切れとなった教職員の組合による差別、不公平について再質問をおこないました。
@管理職の採用時の差別については、県がおこなうことであり、市としては一切の差別をしていないとの見解でしたが、特定の組合員以外は推薦されず、管理職になれない現状があり、改善を求めるべきと強く指摘。
A業務連絡調整手当(いわゆる主任手当)について、特定の組合員以外の受給者が認められないのは、不当でもあり、教職員の連帯の妨げとなり教育上も問題。
B 福利厚生が地公法に反し、特定の組合の福利厚生団体に、これまで七二〇〇万円交付されており、同じ市の教職員でありながら除外されている人が、約二百名もいることは問題とし、強く改善を求めました。 また、小中学校の野外活動について、周辺町と取り組みに相違があることから、従来の一律のあり方を検討すべきでは、との質問に、当局は検討の必要性があると答弁しました。
六月二十四日の新美化センター特別委員会では@網干校区だけでなく周辺校区も含めた説明会、A美化センター設置後、環境チェックへの住民参加、B風評被害も含め、農水漁業への被害についての補償、等数点を質問、当局はそれぞれを認め、Bの被害についても、補償すると答弁しました。

井上和郎議員・各委員会
井上和郎議員は、平成十七年第二回姫路市議会定例会に出席し、同時に文教委員、地域経済再生特別委員、農業委員として各委員会で発言、市民の声を市政に反映しました。
六月二十一日開催された文教委員会では、
@中学校給食の利用減の原因究明を行い、中学生も教職員も喜んで利用する給食に改善すること。
A指定管理者制度の導入は、市民サービスと市職員の処遇改善となるよう実施すること。
B学童保育の充実をはかること。ア待機児童の解消、イ学童一人ずつのスペース確保、ウ適正な指導員の配置
Cプレハブ施設の設置校を公表すること、等を質問要望しました。同時に、市民からの請願三件(@少人数教育の充実を求めること A「教育基本法の理念を生かすことを求める」国への意見書を採択することについて B義務教育費国庫負担制度の堅持などを求めることについて)の採択に全力をあげましたが、@審議末了 A不採択 B採択の結果となりました。
六月二十三日の地域経済再生プラン特別委では、六月四日開催された「ザ祭り屋台イン姫路」は、十五万人の人出でにぎわい、怪我人もなく成功したこと。同時に、バリケードの過剰警備、有料観覧席、屋台出演台数など実施要綱など反省材料も多かったこと。平成二十年までの屋台出演地域を早急に決めて発表することなどを要望しました。
農業委員会では、地産地消の姫路農業振興策の推進を求める立場を貫きました。
六月三十日(水)の本会議では、市民からの請願「教育基本法の理念を生かすことを求める」国への意見書を採択することについて、採択するよう全議員に賛同を呼びかける討論を行いました。結果は、討論もなく不採択となりました。
終戦60周年・姫路空襲60周年、再び戦争の惨禍許すな!
「姫路空襲を語り継ぐ会」展示会と「語り継ぐ会」にのべ百人参加

高齢化、記憶の風化が危ぐされるなか
日本の平和を守ったのは戦争への反省と平和憲法
石見市長が激励のメッセージ
一九四五(昭和二十)年の姫路空襲から丸六十年、終戦六十年をむかえ被災者や遺族が当時の体験を語り継ぐ会が7月3日、姫路市民会館で開催され、のべ百人が参加しました。午後二時から当時落とされた焼夷弾や鉄かぶと、防空頭巾などが展示された展示会、夜は「語る会」が催されました。これには、石見利勝市長から激励の電報メッセージが寄せられ、司会の高島氏が披露しました。
空襲の体験者らでつくる「姫路空襲を語り継ぐ会」(青木敬介代表)は七二年から毎年夏に開催されています。姫路空襲は四五年六月二十二日に川西航空機姫路製作所(現京口団地周辺)を中心とする爆弾攻撃と七月三日から四日未明にかけて約四万五千発の焼夷弾(しょういだん)攻撃で市中心部の約七五%が焼失、計五百十四人が犠牲になり市中心部は壊滅的被害を受けました。
「語る会」では川西航空機製作所に当時勤めていた石本鉄治さん(八八才/姫路市八代宮前町)と同会メンバーで姫路市戦災死没者遺族会会長の黒田権大さん(七五才)が中心報告し体験を語りました。石本さんは工場の屋上の対空監視所で空襲を知らせる役目を担当していた経験を報告。「川西空爆で近くの播但線の線路に逃げると、手足が吹き飛ばされるなど、多くの遺体が横たわっており負傷者の救護にあたった」「監視所に詰めていた六人のうち生き残ったのは自分だけ。戦争ほど惨めなものはない」と語り継ぐ意味を訴えました。黒田さんは当時、中学三年生で七月の空襲で祖母を失い、焼けた自宅の離れから祖母の遺体を運び出したが、性別もわからないほどだったといいます。「戦後六十年、日本が戦争に巻き込まれなかったのは戦争への反省と平和憲法のおかげ」だと強調しました。集会はフリートークに移り参加者がそれぞれの体験を発表しました。

発言の中では、日本共産党大脇和代市議が次のように発言しました。「夫の代理で出席しました。夫の由紀夫が生後二ヶ月のとき、父の重二が水上国民学校高等科一年男子担当で、六月二十二日は生徒二人を連れて荷車を御国野校に取りに行く途中、大日から市川の土手で危険を感じて生徒二人を引き返させました。小川橋の畔でB29の大襲来に遭遇し堤防下の壕で爆撃され亡くなりました。平和を伝えることは大人の責任。いま、風化する無念の思い、平和の尊さを空襲体験者が勇気を出して語っていただきたいと思います」 |